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250302 東京

  • 執筆者の写真: 光太郎 笠原
    光太郎 笠原
  • 3月13日
  • 読了時間: 10分

「東京マラソン2025」に出てきた。

言わずと知れた日本を代表するマラソンレース。自分にとっては初めての参加となる。2~3月は他にもたくさん大会あるから特に強い気持ちを持って出場を願っていたわけでもないけど、毎年応募はしていたから、念願の出場であったことに間違いはない。3年連続で落選すると優先的に出られる制度があってその救済枠で今回出られることになった。せっかく出るからには、と今年の最大の目標に設定。ここまで調整してきた。


出るに当たっては、参加経験のある石田さんとか坂巻さんから色々情報をもらった。曰く、他の大会とは混み方が違うから、とにかく早めにスタートラインに立った方がよいとのこと。それに従って行動予定を考えた。



会場まではとても近い。最寄りの小竹向原から10分で新宿三丁目まで着ける。前日の受付で東京メトロの一日乗車券もらったから有効に使った。駅から歩いてスタート会場の都庁へ向かう。2日前に閉鎖したアルタ前を通って新宿駅の西口に出る。そこからは丁寧に誘導してくれるから迷わず行ける。スタートゲートの開門が7時。その2分前くらいに並んだ。噂に違わず長蛇の列ができている。入るのにどれだけ待たされるか心配になったけど、ゲートあいたら案外スムーズに入場できた。ただ、ゲート内が飲み物持ち込み禁止であることを知らず、ゲート前で急いで飲み物を飲み干し、ついでに持ってきた菓子パンも食べる羽目になった。

スタート前から気温は10℃以上ある。日陰の場所で準備をするけれど寒くはない。今回は防寒用に100均のレインコートを持ってきていた。それを身につければ十分しのげる。早々に着替えとトイレを済ませ、荷物を預ける。1時間50分前くらいにはスタートラインに着いてた。

そこからの時間で重宝したのが、行きがけにローソンで買っていった朝日新聞。それもアドバイスにしたがってスタートラインまで持参した。退屈しのぎの読み物にもなるし、置けば敷物にもなる。手軽に処分できるのも便利。とてもよいアイテムだった。トランプさんとゼレンスキーさんがホワイトハウスで口論になったニュース読んで、不穏な気持ちになりつつも、こうして平和に走れる幸せを感じたりもする。

熊本から来たという年配の男性ランナーがしきりに話しかけてくれる。2週前の熊本城マラソンの応募に落選して、この東京マラソンに目標を切り替えて遠征してきたそうだ。自分だけじゃなく周りのいろんな人に話しかけて雰囲気を楽しんでいる様子だ。

日本中はもとより世界中からこの大会に集ってきている。全体のうち46%が海外からの参加者。17,000人以上の外国人ランナーがいる。だから、当然自分の周りにもたくさん。庁舎が立ち並ぶビル群の合間の通路で、各国から集ったマラソンの強者たちが、今か今かと開戦を待ちかねている。こういう雰囲気を味わうことができるのもこの大会ならではだ。


ブロックはCから。早めに並んだこともあり、号砲から1分以内にスタートを切れた。スタート直後はかなり窮屈になる。道幅はそれなりにあるけど、何度か角を曲がるから、その度に大きなうねりができて人とぶつからないようにするだけで精一杯だ。新宿歌舞伎町のあたりを通ったらしいけど、周りのランナーの足元しか見ていないからまったく景色が目に入らない。スタートの1kmは4:40くらい。普段に比べると、とても遅い入りだ。ちょっと開けたところで、ようやく自分のペースにあげられる。これが結構落とし穴で、スタートしてからの約5kmは緩い下り坂が続くから、ちょっとのつもりが、かなりのスピードアップになってしまう。2km目は3:30くらいまで上がってた。自分の実力からすると早すぎる。あわててペースゆるめて次は3:50くらいまで落とした。競馬でいえば、スタート出遅れて出ムチ入れたら、ペース上がりすぎた感じ。これはゴール前タレるパターンだ。

さらにもう一つトラブル。右足の靴ひもがほどけていることに気づく。「止まりたくない」って気持ちが強く、しばらくはほどけたままで進もうと決める。結局最後まで結べなかった。アッパー部分がタイトなつくりのシューズだから実害はないけど、ひもに引っかかるリスクはあった。運よく乗り越えたからよかったものの、後から考えると危険だったなと思う。さっきの競馬の例で言えば、落鉄(蹄鉄が落ちること)までしている感じ。前途多難だ。


大会に出るのは初めてだけど、コースは何度も走った道。特に5km手前で神楽坂を過ぎてからは自分にとってホームともいえる道が続く。この先すべて距離感も高低差もつかめている。ただ東京マラソンという大舞台の雰囲気だけはつかめていない。

水道橋の交差点を曲がって神保町のあたりを通る。会社からも近い場所で十年以上通っている道。車道の真ん中を走るとこんな風景になるのかと感心する。その後もよく知った道を走る。秋葉原の電気街を進む中央通り。東日本橋から雷門へと続く江戸通り。台東区に住んでいたころ、夜明け前の歩道を、黙々と走っていたコース。今回は車道の真ん中で、日曜日の朝日と大声援を浴びながら走る。隠と陽、まるで別の景色だ。


雷門をあっという間に過ぎて、蔵前橋を渡り両国の方へ向かう。この辺りで中間点だ。全行程中、唯一通り慣れない箇所。鬼門と言えば鬼門。細かいアップダウンもあって、少し疲労感を感じ始める。

それにしてもいろんな国からの参加者がいて、にぎやかなレースだ。国旗をペイントしていたり、国の名前がプリントされたTシャツ着ていればお国もわかるけど、後ろ姿だけでは、国籍がわからない人も多い。ただ、時折観衆に国旗を振っている人がいて、それを見つけたランナーが「ネパールー!」とか力強く叫んだりすると、「ネパールの人なんだ!」ってわかったりする。本当に多種多様だ。オリンピックのような国際舞台で走るってのは、あるいはこんな感覚に似ているのかな。一介の市民ランナーができる経験としては、これ以上ないシチュエーションだろう。


30kmが近づき、再び東京でも有数の目抜き通りへと戻ってくる。水天宮のあたりでは、同僚の田島さんが応援に来ていて声かけてくれた。再びギアが上がってくる。

兜町から日本橋の交差点に向かう道の声援は特に印象的だった。それほど広くない道幅の両脇に高いビルがあるから、観声がビルに反響して、とても重層的に聞こえてくる。サッカーのスタジアムの中にいるような感覚だった。そしてそこを曲がると銀座の大通りへと続いていく。日本の中心地に来たぞって気分になる。これぞ大都市マラソンの醍醐味。キツいはずだったけど、ペースは落とさずに進めていたようだ。


有楽町駅を抜けて日比谷通りに入る。ここが最後の大通りで、一番キツいところだった。これまではビル陰があって、それなりに日陰のところも多かったけど、ここに来ると日差しの強さを感じる。最高気温で20℃を超える一日、正午が近づいて一層日差しも厳しくなる。急に止まったりはしないけど、徐々にペースが落ち始めることが自認できる。周りのランナーに徐々に抜かれていくからあせりも加わる。

気合の入った外国人ランナーが何事か話しかけて鼓舞してくれた。聞き取れなかったけど、おそらく「もう少しだ。がんばろうぜ」的な言葉だったと思う。こちらも言葉にならない言葉で「おう!」って返した。こういうインターナショナルな連帯感はとてもいい。


もうひとつがんばる理由がある。しおりちゃんが応援に来てくれていることになっていた。増上寺を過ぎるとずっと反対車線の歩道を見て進む。芝公園駅の出入口近くで姿を発見する。お義父さんも一緒だ。ふたりとも大声で呼んでくれたからすぐに気づいた。手を振って応える。1.5km先の田町で折り返して再び芝公園に戻る。そこでしっかり会うことができた。反対車線で手を振ってからそこに来るまでの間に、2時間50分のペースセッターに抜かれて意気消沈し、さらに疲労感で減速し、かなり厳しい状況だったけど、会えると一気にシャキっとする。今シーズンのフルマラソンは比較的応援に来てくれる人が多くて、どれもみんなそれぞれに嬉しかったけど、この大舞台でしおりちゃんに応援してもらうのは、特別な感慨がある。用意していた感謝の手紙を渡し、「しっかり走ってくるからね」という気持ちを伝えて先へ向かった。


40kmが近づく。疲労はまだ頑張れる程度のレベルだけど、身体の節々が吊り始めてきて、それは如何ともしがたい。

ただ日比谷通りを走り切り、丸の内仲通りへ入るとそこでまた気持ちが切り替わる。この道は初めて通る。東京マラソンの集大成にふさわしい最後のウイニングロード。細い路地で、両脇には丸の内を象徴するようなビル群が立ち並ぶ。そこを埋め尽くした観衆から折り重なるように声援がかかり、恍惚の気持ちで走ることができた。もうペースは上げられなかったけど、とても奮い立つ区間だった。ここを抜けて行幸通り(東京駅の丸の内口から皇居までの通り)でフィニッシュする。最後の演出は見事だ。日本一、いや世界一の市民マラソン大会と言ってもいいくらいに感動的なラストだった。

自分がこれまでに出た大会の中では、間違いなく一番のお祭り騒ぎだった。とにかくどこを走っていても人が途切れるところがない。東京中の要所をめぐるコースだから当然ではあるけれど、それにしてもこの熱気を42.195km区間ずっと感じ続けれるのは幸せなランニング体験だ。


タイムは2:53:44。前半はかなりいいタイムで入ったけど、後半の失速が影響して、ベストからは4分近く遅いフィニッシュ。自分の3rdベストの記録だった。

どうしても最後にばてちゃうと悔しい気持ちが残る大会になりがちだ。特に今シーズンの一番の目標にしてきたレースだけに悔しい気持ちもある。左足のふくらはぎに痛みがあってコンディションも万全ではなかった。でも、なんの憂いもない状況で臨めることなんて皆無で、何かしらの不調と折り合いをつけながら走るのが通例だ。すべてが好条件なんて日はそうそうない。


スヌーピーの言葉で好きな一節がある。

"YOU PLAY WITH THE CARDS YOU'RE DEALT… WHATEVER THAT MEANS."

「配られたカードで勝負するしかないのさ。それがどういう意味であれ。」

今日与えらた条件の中でベストを目指す。結果、うまくいけば喜ばしいし、うまくいかなくてもそう気落ちすることはない。

「ベストを尽くしたじゃないか」と胸を張って結果を受け入れれば良い。


ちょうど10年前の2015年3月。初めてのフルマラソンとして横浜マラソンに参加した。その時は4時間32分で走り切った。もしその時の自分が今日の結果を聞いたらきっとこう言うだろう。

「東京マラソンで、愛する家族の声援をもらいながら、サブ3でゴールか。たいしたもんだな、光太郎!うらやましいぜ。」

そう。この10年で確実にマラソンの実力は向上している。そしてもっと重要なことに応援してくれる家族を手にしている。自分の人生は上々に上向いていると誇っていい。

「それでがっかりするなんて、どうかしてるぜ。」

今日の経験で、満足感を得られないのはもったいないことだ。大切なのは満足の閾値を高くしないこと。

五木寛之さんが書いていたように、「人はみな大河の一滴」に過ぎないという謙虚な気持ちで、なにも期待しないという覚悟を持ち続けること。そういう心構えでいれば、どんな結果であっても満足感を得られる。そんな日々を過ごせる方がより豊かに過ごしていける。

新入社員の頃、編集した絵本ができあがって喜んでいたら「それで満足していてはいけない。常にもっと良いものを目指すのだ。」という訓戒をいただいたことがある。それを聞いて「いつまでも満足できなかったら、満足感の少ない人生になるんじゃないの」という反感の気持ちを持ったことを覚えている。常に満足しちゃえばいいのに。そうすれば、もっと日々が楽しいはず。


そんな訳で満足感とともにレースを終え、応援に来てくれたしおりちゃんとおいしいランチを食べて、世界一落ち着く我が家に帰ってきた。今日の結果を受け入れて、また次へと向かっていく。一日の終わりに「今日はいいレースができていい一日だったな」と考えて、ベッドでゆっくり休めばいい。そうすればまた明日からもよい一日を迎えられる。



「私は自分の計画した人生模様を一生懸命織り上げてきたつもりである。完璧な模様だなどとは言い張る気はないが、与えられた条件と生まれつき持ち合わせた僅かな能力を考えれば、自分としてはベストのものだったと思う。」

(「サミングアップ」サマセット・モーム/著 行方昭夫/訳より)


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