241201-250126 神奈川・茨城
- 光太郎 笠原
- 2月2日
- 読了時間: 8分
12月と1月で大会に出た。
神奈川の「湘南国際マラソン」と茨城の「勝田全国マラソン」だ。どちらもすでに出たことがある大会で、どちらも5年以上ぶりに参加した。
「湘南国際」は自分が一番多く出たことのある大会。「4回目くらいかな」と思ってたら今回で「6回目」だった。そんなに出てたのね。思えば、初めてのサブ4もサブ3.5もサブ3もこの大会で達成していた。地元にも近く、いわば自分にとってはホームの大会。ただこの数年の間に大会自体に大きな変化があった。「環境配慮」を大きなテーマにかかげたこと。そしてランナーにとってもっとも大きな変化が「マイボトルマラソン」になったということ。つまり給水所がないのだ。水分補給はタンクにある飲み物を携帯しているマイボトルに注いでから飲むスタイル。トップスピードの中でこの作業をするのはかなりの労力がいる。地球にはやさしいけど、ランナーにはやさしくない。特に後半、このシステムに苦しむことになる。
コースの半ばで応援が来てくれていた。しおりちゃん(妻)とあさちゃん(姉)だ。江の島あたりで待ってていてくれることは打ち合わせ通り。そこまでの距離を計算して「だいたい10時15分くらいに通る」って伝えていた。
会うのはわずか数秒のチャンス。そのために来てくれたんだから、なんとか探し出そうと目を皿のようにして、ずっと沿道見ながら走った。直近の岡山のレースでは、伯母たちを見つけられなかった反省があるから、今回こそはと思って必死だった。なんとか無事に見つけ出せた時はとてもホッとした。
レース中に家族に会うととても励まされる。特に中盤は孤独感との戦いになるから、一気に気持ちが晴れやかになる。ハイタッチだけしてすぐにレースに戻る。折り返したあと反対車線からも手を振ってくれた。あとで聞いたら、時間はちょうど10時15分。我ながら正確なランナーだ。
23kmくらいの地点でも不意に「笠原さん、頑張って」と声をかけられた。スライドですれ違う反対車線から同僚の田島さんが見つけてくれた。これもまたうれしい声援だった。
後半、給水できない難しさを如実に感じることになる。
30kmくらいまでは余裕あったけど、そこからは気温も上がって、日差しも強くなるから、汗が噴き出てくる。一気に体が重くなってペースに影響が出た。周りもそんな感じ。自分が見ている限りではまったく給水していない人が多いし、そもそもマイボトルを持っていない人の方が多い。給水にかかるタイムロスを考えてそういう選択にしたんだろう。明らかにこのレギュレーションはサブ3のランナーにとっては好ましくない。その影響で後半足が止まる同レベルのランナーが散見された。いくら難易度の低いコースとは言え、給水無しで乗り切れるほどフルは甘くない。
最後はキロ4:30くらいまで落ちたところでゴール。2時間56分台のタイムだった。
レースの後、応援に来てくれたふたりと共に食事していく。新江ノ島水族館のそばにある「イル・キャンティ」というイタリアンのお店。以前にも行ったことがあるお気に入りのレストランだ。レースのことをしゃべったり、その間の応援している側のエピソードを聞いたりして談笑する。あさちゃんは、自分がレース直後にも関わらず、あまりにもスムーズに合流して、普通に食事してることに驚いてた。この大会に初めて出た頃は、レース後へとへとで、回復するのに相当な時間を要したけど、今となっては「ちょっとした用事のあと」っていう感じで気楽に食事を楽しめる。
スパゲッティとピザとニョッキの料理を1品ずつ注文する。どれもおいしい。特にニョッキは大好きだ。クリーム系のソースであえたもの。モチモチした食感がたまらない。前に来た時も頼んだと思う。他ではあまり頼まないけど、自分が知っているニョッキの料理の中ではここが一番好きだ。
12月でも日差しある日だと十分温かい。レース後のランチとしては満点のシチュエーションだった。
1月26日に参加したのが「勝田全国マラソン」。
これも以前出たことのある大会。2019年のことだから6年ぶりの出場だ。1月になにかしらの大会に出るつもりではあったけど、この大会はあまりターゲットにしていなかった。村田さんがこの大会に出ることになっていて、「一緒に出よう」と誘われたことで、検討をはじめた。それに加えて、同僚の加藤さん(しおりちゃんを紹介してくれた友達)が出産のために里帰りをしていて、ちょうどこの大会のコースにあたるところに家があるとのこと。「体調がよければ応援に行きたいです」なんて言ってくれたから、「それじゃ、出てみようか」と出場を決意した。
ところが去年の暮れになって、村田さんが半月板損傷の大けがを負い、この大会をキャンセル。おめでたいことに加藤さんは大会の数日前に無事出産。残された自分だけが出ることになるのかと覚悟していた。
そんな感じだった大会前日、加藤さんからまさかの連絡が来る。「明日応援に行きます」とのこと。まさか産後一週間もしないうちに来てもらえると思わなかったから心底驚いた。それで一気にやる気がわく。
勝田は結構近い。実際にはそんな訳でもないけど、気持ち的には楽に行き来できる場所。スタート時間が10:30からってこともあって、余裕で日帰りできる大会だ。上野から特急に乗って向かう。道すがら前回大会のことを思い出す。そういえばこの道を村田さんと歩いたな。会場着くと、軽食摂って、着替えて、トイレ済ませる。すでにスタート20分前になってた。
スタート前のセレモニーは、6年前と同じ方が司会だった。前回の時でも相当おじいちゃんだなって感じだったけど、今回はその感じがより増してた。「勝田に集ったランナーたちの熱き情熱が、いま最高潮に達しようとしております」なんてことを、ふるえる声で郷土話の語りべのようにしゃべるから、笑わずにはいられない。勝田に戻ってきたなって気分になる。
レースは厳しい展開だった。
まず自分のコンディションが万全ではない。足のつけ根から股関節にかけて痛みがあり、そこをかばいながらの走りになる。そしてコース序盤は風に悩まされる。特に245号線を北上するところは正面からの強い北風が吹き曝しになる。集団走の中に入り、少しでも風よけを作って走るように心掛けた。前半は我慢の時間が続く。
15km地点で90度折れ、しばらく行くとさらに90度曲がる。そこからは追い風になるから、一気に気分が晴れた。足もほぐれて身体も動く。一番乗ってきたところでいよいよ応援地点が近づく。
前日に写真を送ってくれていて完璧に場所は特定できた。前回の時に走った記憶も蘇る。北越の勝田工場を過ぎて、「ひたち海浜公園」の案内板のあるカーブを過ぎたところ。「あそこが実家だったのか」と得心する。既知の場所がこうして別の情報と結びついて、自分にとって新たな意味を持つ瞬間はとても好きだ。
近づくと夫の新井田さんの姿をまず捉えらえた。加藤さんも近くにいるんだろうなと探すと、なんなく見つけられた。前日に出産入院から退院してきたばかりとは思えないほどの元気さで手を振ってくれている。本当にタフな人で感心する。人生の転機となるような大仕事を終えたばかりだと言うのにね。さらにはその近くでにこやかに笑いかけている年配の男性もいたから、それがお父さんなんだろうと推測する。3人とも盛大に声援を送ってくれる。
まずは家から持ってきた手紙を渡す。自分の分としおりちゃんの分。そして止まって話しかけようとすると「止まんないで!行って行って!」って促される。ホントはゆっくり写真撮影でもしようと思ってたけど、そんな感じでもなかったから、御礼を言って再び走りはじめる。去り際にようやく「お祝いを言わないと」ってことを思い出し、後ろを振り向きながら「おめでとう~」と大声で伝えた。
それで終わりじゃなかった。2kmくらい進むと、迂回してその場所の近くまで戻ってくる。もしかしたらと思って沿道を見ると、そこにも回ってきて声援を送ってくれた。寒い中、二度も応援してくれてとてもありがたい。
これまでのマラソンの中でも特に思い出深い邂逅だった。
ウルトラランナーのレジェンドであるスコット・ジュレクの言葉のなかに、「ランニングは僕をいろんな場所へつれていってくれる」というのがあったけど、正にそういう気持ちを自分も体感している。いろんな場所へ連れていってくれるし、いろんなポジティブな感情を経験させてくれる。この大会に出なければ、しばらく彼女に会えることもなかった。数日前はモチベーションも下がり気味だったけど、出場に踏み切って良かったなってつくづく思う。
そこから先は、本番のあとの打ち上げのようのもので、リラックスして走れる。無難に乗り切れたと思う。ずっと5km20分台のラップで進み、最後のセクションだけ21分台に落ちた。感覚的にはそこまで落ちた意識もなく、しっかり走れたと思っている。さすがに歴史を重ねた大会で出場者のレベルが高い。最後まで人がばらけないから、常に前後に刺激を受け続けながらゴールまで走れた。湘南と同じく2時間56分台のグロスタイム。ネットでは55分台だからちょっと早いくらいだった。まずまず満足できる結果だ。
こんな感じで年末年始の2大会を乗り切った。どちらも出たことある大会ではあるけど、やっぱり新しい感慨をもたらせてくれた。出てみるもんだね。
もう一つの感慨。年末に、ランニングアプリの「Runkeeper」を使い始めてからの累計走行距離が40,000kmを超えた。10,000kmでも20,000kmでもうれしいものだけど、この40,000kmという数字には特別な意味を含んでいる。
それが「地球一周」に相当する距離だということ。
2017年のはじめから8年かけて積み上げてきた軌跡だ。実際にはアプリを使い始める前の2013年からランニングはしていて、初めてのフルが2015年だから、もう少し走ってきたことになる。それでもきちんと数字に残るもので、ひとつの指標を乗り越えたことにとても意義を感じる。よく走れたもんだ。

さて「地球1周終えたらどうなるか。」ということだけど、答えはとても簡単で「2周目に入る。」ということだけ。
今シーズンの大目標は3月の東京マラソン。それに向けても走りこんでいくし、それが終わっても走り続けていく。そんなところだ。
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