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241110 岡山

  • 執筆者の写真: 光太郎 笠原
    光太郎 笠原
  • 2024年11月17日
  • 読了時間: 11分

更新日:2024年12月19日

岡山は自分にとって想い出深い県。

父親の実家があって、子供のころは毎年連れてきてもらっていた。最後に家族で行ったのは自分が小学生のころだったように思う。それ以降は旅行する機会もなく、親戚と会う機会もなくなっていた。

そんな折に偶然両親から「今度岡山へ行く」と聞いたのが自分の岡山行きの前週。なんでも伯母の家で親戚の集まりがあるらしく、そこへ顔を出すとのこと。そんな流れから自分が「おかやまマラソン」に出る話題があがり、この遠征にあたって久しぶりに従兄と連絡を取り合うことになった。

直前まで会えるかどうかわからなかったけど、出発前日にようやく正式に会えることが決まって、一気に楽しみが広がる。旅先で知り合いに会えるのはとても嬉しい。これまでにない楽しみを持ってマラソン遠征に出かけられた。


大会前日の岡山駅に11時頃着く。前日受付をする必要があるから、とりあえずその手続きを済ませる。スタート会場と同じ場所での受付。すでにお祭りが騒ぎがはじまっている。



手続きのあと、その会場近くまで車で迎えにきてもらった。伯母と従姉兄(お姉さんはあとで合流)。小学生の時以来、約30年ぶりの再会だったと思う。顔合わせた瞬間「ああ、どうも。すぐわかったわ」との第一声だった。

数十年ぶりの再会という場面は、これまでにあんまり経験したことがない。感慨深い気持ちと、「ああこういう人だったな」というなつかしさと、「こんな感じで年取ったんだ」という感心とが入り混じったような気持ちだ。「感動の再会」みたいな感じはなくて、昨日も会った知り合いにでもあったような感じ。そんな温度がちょうどよくもある。総じて言えば嬉しかったことに間違いない。

会う前は話題があるかなと心配していたけど、会ってみるとそんなことは杞憂に終わって、聞きたいこと言いたいことがたくさん出てくる。家族のこととか、仕事のこととか、岡山のこととか、話題が絶えなかった。


伯母と従姉兄たちと自分の4人、中華のお店でランチ。その後、倉敷の美観地区に案内してもらった。とても風情がある街並みで美しい。何度も映像や写真では見た場所。もしかしたら自分が小さい頃にも連れてきてもらったことがあったかもしれない。岡山は名産品の多い土地で、デニムとか備前焼とかのお店があちこちにある。手ぬぐいも名産のひとつのようだ。そのお店へみんなで入る。自分がしおりちゃん用にひとつ取って買おうとすると、「おばちゃんに買わせてな」とお代を払ってくれた。気遣いがとても温かい。

遠征行っても、かたちに残るお土産を自分で買うことは少ない。でも、いただいて帰れるのはまた別で、それは素直に嬉しく思う。そこに優しい思いが込められているとなおさらだ。家で渡すとしおりちゃんも喜んでいた。ウチで大切に取っておこう。


普段の遠征は、旅先で誰も知り合いがいなくて、着いてから帰るまで完全なる単独行動になる。そのパターンももちろん好きだけど、今回のように終始知り合いと過ごせるのもいい。常に親切心に触れて過ごせることができる。とても幸せなことだ。おもてなししてくれた伯母家族に心から感謝したい。それにしても岡山弁のリズムが自分の耳に心地良い。やっぱりここが自分のルーツなんだと感じる。



この日の岡山駅周辺はホテルがめっちゃ高い。マラソン遠征には何度も行っているけどこんなに高いのは経験ないくらいだ。仕方なく取ったのが岡山から在来線で30分離れた新倉敷。駅から歩いて15分のところにある「セントイン倉敷」っていうホテル。住所が「新倉敷駅前」なのに、なんでこんな遠いんだと思いつつも歩いていった。そしてなんとここが偶然にもうちの両親が先週泊まったまさに同じホテル。そんな偶然もあるんだな。


「おかやまマラソン2024」大会当日。

いつも通りホテルではしっかり睡眠が取れた。

新倉敷駅前のデイリーヤマザキで買ったパンが大会当日の朝食。ホテルで3つ食べて、大会会場でも2つ食べた。

6時前にチェックアウトして6時20分台の在来線で岡山まで向かう。駅のホームで前に並んでいた男性が「おはようございます。マラソンですか?」と声をかけてきた。香川の人だそうで、この方もいろんな場所へ旅ランしているようだ。富山とか京都とか徳島とか自分の知っている大会の名前が出てきたから思わず会話が盛り上がる。話を続けようと思ってたら電車が来て、この男性は真っ先に席を取るため行ってしまった。なんだか取り残された気分だった。電車は新倉敷の時点でかなりの混雑。岡山近づくにつれてさらに人で溢れていく。スタートの2時間前に岡山駅着く電車でこの状態。やっぱり相当な規模の大会だと思い知らされる。駅からスタジアムまでの道のりは、まあ想定の範囲内の混み方かな。そこまでストレスなく会場まで行ける。


前日受付をしたアリーナが男性用更衣室と荷物預け所になっている。ここの2階の座席が開放されていて、それなりに空きもあったから、レース前の時間をそこで過ごす。温かいし、トイレも使えるし、荷物預けもその場でできる。電車での混みかたからは大混雑の大会会場を覚悟していたけど、思いがけずリラックスしたスタート前を過ごせた。


45分前にスタート位置に移動する。Sクラスの最前列。セレモニーも間近で見ることができる。岡山が生んだマラソンレジェンド有森裕子さんからのエールも見届けられた。


スタート直後から気持ちよく自分のペースに乗せられた。15,000人を超える人数の大会で当然ごちゃごちゃしているけど、最前列の混雑具合は15,000人でも1,500人でも変わらない。とにかく人とぶつからないことだけ心がける。はじめの1kmが4:15くらい、次がちょっとあげて3:50台。そこからは安定して3:50台をキープしていく。そのペースで無理はない。少しずつばらけてきて単独走になる。道幅が広くて勾配はフラット。ペースを落とす理由はない。


さてさて今回の目標はといえば、それはもちろん自己ベストを出すことだ。

おおまかに言えば2時間50分前後を目指すことになる。1km4:00くらいのペースで、ちょうど時速15kmという計算だ。「5km20分ペース」これがひとつの目安になる。

自分が結果を出してる大会はほとんどすべてポジティブスプリットだ。前後半で比べると前半が早い展開のこと。この傾向から「どれだけ前半抑えて走っても、後半に前半以上のペースで走りきることは難しい」という考えに至った。そんな訳で「無理のない程度に前半を飛ばして入り、そのペースを極力維持して後半を走りきる」これで行くことにする。この戦略のいいところは、後半になると時計を見る必要がなくなるところ。だって落ちていようがいまいが、とにかく全力で最後まで行くだけだから。その方が考え方がシンプルだし、タイムプレッシャーに捕らわれることないから、自分の性にあってる。これからもこの戦略でいこうかなって思う。


序盤は市街から大きな幹線道路沿いを南へ進む。朝から日差しはあるけど、暑い感じはしない。先月の大会の時も暑さにスタミナ奪われる感覚は皆無だった。今年の猛暑が自分を暑さに強くしてくれたようだ。

10kmの前後で前日に会った伯母と従兄が応援に来てきれることになっていた。ずっと沿道の方を見ながら走るけど、なかなか見つけられない。結局20分くらい見ながら走ったけど、見つけられず終いだった。ただそのおかげで、気づいたらかなり距離を進められて、自分にとってはいいセクションになった。あとでLINEしたら「見かけたよ」って伝えてくれた。向こうにとっては空振りにならなかったようだからなおよかったかなと思う。

18km手前で180度の折り返しがあり、幹線道路をしばらく戻る。今日は風も穏やかだから、方向変わっても気分良く走れる。

ハーフの通過が1:22:44(3:55ペース)。予定通り前半突っ込む展開。上等上等。あとはペースうんぬんではない。一切時計を見ず、力尽きるまで走るだけだ。


25kmの給水所に従兄の娘さんがボランティアで参加しているそうだったので、それも楽しみに走る。いざ給水所を通過して、注意深く人の顔を見る。正直わからない。前日に写真は見せてもらったし、身長の情報とかも聞いていたけど、なんとも判然としない。そのエイドはみんな女子高生が担当してくれていた。年齢が同じような子がたくさんいて、それを走りながら識別するのは至難の技。なんとなくこの娘かなって程度の認識しかできなかった。

ごめんね、またお土産持ってゆっくり会いにいくから。まあ岡山の女子高生がとても感じ良かったことだけは、ちゃんと記憶に残った。


30km過ぎにこのマラソン最大の難所とされる岡南大橋がある。アーチ型の橋で、上りがそれなりにキツい。ただそこまで斜度は大きくないからきちんと気持ちを整えて走れば攻略できる。そのピークのところ、コース上で絶叫している女性がいた。「なんだなんだ」っていぶかしみつつ進んでいくと、それがかのマラソンレジェンド有森裕子さんだった。認識すると嬉しくなるもんで、しっかり力強くハイタッチしてもらって橋を下っていった。


この後もほとんどペース落とさず進んでいけてる。これまでハーフを通過すると、途端にペース落ちるのがパターンだった。でも今回は25-30kmも19分台。30-35kmで少し落ちるも20分台にとどめている。

今回特に意識して奏功したのは「推進力を前にもっていく」ということ。どうしても反発力のあるシューズだと着地後の反発が上にいって、ジャンプするようなイメージになる。その反発をとにかく少しでも前に持っていければ、省力でスピードにのせられる。前に倒れるくらいの感覚で進めばちょうどいいくらいだ。「上じゃなく前」これを常に意識して、結果的に最後までそのイメージで進めたと思う。

あとは「フォアフット着地」も常に意識した。つま先で着地する走法。ふくらはぎの筋力が伴わないとつらい走法だけど、きちんとトレーニングすれば、それが一番ラクになる。

技術的な上達も感じられたことが今回よかったところだ。


32kmからはずっと旭川沿いを走る。このコース設計はとてもいい。川沿いを走るコースは大規模大会の定番だけど、それがコースの前半に出てくるよりは後半に出てくる方が好きだ。平坦で見通しがよいから、「これなら急に苦しくなることはない」と自信を持って進める。川によっては向かい風が激しい時もあるけど、ここはとても和やかでよい。

35-40kmで21分台には落ちたけど、そんなに苦しくなった感覚はない。まだ走れる感覚残っていたから余裕があった。川沿いから岡山城はよく見えた。後楽園はまあぼちぼち。それは今度来た時のお楽しみにしよう。


最後は再び市街地に戻ってくる。昨日今日で何度も通った道だから距離感が掴めて、安心して走れる。最後はトラックを一周。最後の直線に入ったところでゴールと電光掲示の時計が見える。ここで中間点以降はじめて時計を目にする。「2:49:40」くらいの表示だった。がんばれば50分を切れることがわかり、そこから50mだけはタイムに間に合わそうと全力で走った。2:49:56でゴール、グロスでも50分切れたのを確認して喜びがこみあげた。ネットでは2:49:45。堂々の記録と言ってもいい。


やったね。やっぱり気持ちいいもんだ。

ゴール後カメラマンに1枚撮ってもらう。両指を2本と5本で開き、「2時間50分切り」を表現。指3本で「サブ3」ポーズは何度もやってて、それ以上のポーズができると思ってなかった。嬉しい1枚だ。


おかやまマラソン2024
おかやまマラソン2024

自己ベストは2シーズンぶり。去年は更新できず、一歩届かない2時間54分台が3回もあった。以前より練習量は減ったし、加齢による衰えもあるのかなと思ってた矢先のこの記録。

「なんだまだ自己ベスト出るんじゃん」最初に湧いてきたのはそんな感情だ。

レース後すぐにしおりちゃんからLINE届いて祝福してくれた。それとほぼ同時に昨日会った従姉からも「おめでとう」のLINEがあった。こうやって注目して見てくれてる人がいるだけでありがたいのに、それに応えるようなポジティブな報告ができてより嬉しい。


「今回こそは」っていう強い意気込みを秘めたわけでもなく、無欲のままに走ったらこの記録が出た。しかも1分や2分じゃなく、この段に来て3分の短縮。大きな壁と思っていた2時間50分を超えての達成で、なんだか不思議な感覚だ。

思えば、自己ベストの更新は無欲の達成であることの方が多い。しぼってしぼってなんとかひねりだす数秒の更新の経験はほぼない。おかげで今シーズンのこの後の大会のモチベーションをどう持っていくかが微妙な感じになっちゃったけど、そんなのはうれしい悩み。これが絞り出した最後の1秒じゃないなら、あと1秒でも絞り出して自己ベストを更新していけばいい。いや、結局それじゃ記録出ないんだろうな。あくまでも無欲にひたむきにその時のベストの走りをするに限る。


11月の大会は、走っているときはくもりがいいけど、終わった後は晴れがいい。

走り終えるお昼ごろはちょうどいい気候。からっとしていて暑くも寒くもなく心地よい。参加賞のバナナクリームパン食べながら至福の時を過ごしていた。それにしてもよくパン食べる一日だ。

岐阜の時も、富山の時も晴れだった。だから自分の記憶の中の光景が晴れやかだ。大田原はくもりだったから、なんだかイメージがくもりがかっている。記録の良し悪しとは関係のないところで明るさの濃淡がある。岡山の風景もとても輝かしく記憶に残っていく気がしている。

さすが「晴れの国」岡山。やっぱり自分にとって特別な記憶に残る県だ。





 
 
 

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